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・・・いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。 

忘れないうちに。。。

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出張中に撮るバンコクとチェンマイの写真。
この写真たちについて友人やそして時々全く知らない方からもいつも何かしらの反応があります。
その反応を聞いていて、読んでいて、思う事があります。
写真を撮っている時の私の感情が見ている人にも伝わることがあるんだ、と。
私は長時間カメラを胸の前に構えて、実際自分の目で見えた物に何かストーリーを感じたらそれをカメラのファインダーのなかから覗き直し、切り取って映画のワンシーンを自分の頭で構想しながらシャッターを押し続けたりします。

実は写真を撮りだしてからこの二つの町を見る目が私の中で変わったと思います。
かれこれ10年以上も行ったり来たり同じ場所をしていると、実際それが当たり前になっていて、悪い意味での変化が少し前に私には訪れていました。バンコクに対する気持ちは特に。。。でも写真を撮る、という行為は何かを変えてくれました。良い意味で。そう、とても良い意味で。

いつも何かを探している。
仕入れるべき物、仕事をするべき時、を常に貪欲に探しているのは、まあ、当たり前として(そう、これは旅ではなく仕事なのですから・・・)人が何に心を動かされて、欲に掻き立てられ、それを保有(所有)しようとするのか?そんな物や事をいつも探してこの二つの町を歩くようになったのです。
でもそれをそうだと判断する基準がいつしか自分の精神状態にかなり正直にシンクロしている事も最近撮ってきた写真を見ていて思いました。

何も言わないでも、分かる人には分かってもらえる。
そんな気持ちで長い間居たような気がします。この仕事も続けて来たような。。。でも写真にしても私は伝えたいことがあったから撮っていたわけであって、言葉では言い表せない何か、を自分の店では売って行きたい、と思っていたけれどきっとその言い表せない事、と言うのはそのモノたちを探し、見つけて心動かされ、日本に持ち帰り、その動かされた心を表現しやすい空間で並べて売る、という一連の流れさえも一つの大きな事を伝えたいという想いがあってからこそこんなに長く続けてこれたのだと思うし。ああ。。。やっぱり言葉がぐちゃぐちゃしてきた。。。

(そうここで諦めたらいけないのですね。)

人の心を動かせるのは紛れもなく「言葉」なのかもしれない、と。今までそうではないと否定的だったような自分ではありますが、やっぱりこの言葉を読んだ時にそう思ったのです。
私はほとんど本を読まない(なぜか読むことが出来ない。)し、ほんとに伝えたい事を言葉にするのが苦手ですがやっぱり、この仕事を続けているのにしたって、写真を撮るのにしたって、ブログを書くのにしたって、伝えたいことがそこにちゃんと在るからなので、あらゆる道筋で、あらゆる手段でそれを表現して伝えたい、というのはやっぱりそう、上手くいかなくても、うん、『・・・いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。』

ちょうどちょっと壁にぶち当たっていたチェンマイで(ターぺー門の壁ではありませんよ(笑))届いたmatoさんからのこの言葉。村上春樹さんの ある本の前書きだそうです。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは---少なくとも僕はということだけれど---いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。

*もし僕らのことばがウィスキーであったなら * 村上 春樹(著)



そうそう。
上の写真は帰りの飛行機の窓から。
実際こんな瞬間が突然訪れたりする。
夢見ていたら、こうやって…。
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by iroirostyle | 2011-01-25 21:52 |